2012-01-01から1年間の記事一覧
加藤周一「戦後を語る」(かもがわ出版)を読了。この本は2009年に出版された講演集で、年代は80年代から9・11以後の2000年代までばらばらであるにも関わらず、加籐の、科学的ともいえる論理体系にもとづいているために、なんら隔世の感が無いばかりか、今まさ…
スタンレー・ミルグラム著「服従の心理」(河出文庫 山形浩生訳)を読んでいる。この本は、一般にアイヒマン実験として有名な、人間の服従メカニズムに関する実験報告を書籍化したものである。 実験は「記憶と学習の研究」という名目で被験者を募り(実際は服従…
アルバムの直販をしてから親しくなった人が映画学校に通っており、学校の課題の映像作品をDVDにして渡してくれた。8ミリフィルムで撮影された二つの10分程度の作品で、初めての作品と二つ目の作品のあいだで著しい進歩があって、見ていて面白いしとても今…
サードアルバムの直接販売や、それに伴うライブが終わってようやく一息ついている。ライブやリリースをして疲労感よりもむしろこれからについて意欲が湧いているというのは正直なところ初めてだ。 レコーディングが終わってようやく少しずつ、時間の感覚が正…
サードアルバムの販売を開始した。直接購入希望者と会って販売するのと通信販売のふたつの方法でしか現在販売していないが、購入者と直接コミュニケーションをとることははじめに意図していたフィールドワークとしての機能は十分に果たしているが、ふたを開…
ようやくサードアルバムの完成にこぎつけて、つぎつぎと計画を実行に移そうとしているところではあるが、それまでの間に読んだ本はトマス・ピンチョンの「競売ナンバー49の叫び」一冊だった。 この本の内容を解説することはかなり困難であるように思うが、読…
ジョージ・オーウェル著「一九八四年」という作品がある。この本は以前、早川書房の新訳版を読んだ。あまりに有名すぎる作品のため内容についてくわしく書く気は起きないが、ビッグ・ブラザー率いる党が支配する全体主義的近未来を舞台にした小説である。こ…
佐々木俊直「『当事者』の時代」(光文社新書)を読み終えた。この本のオビには“いつから日本人の言論は当事者性を失い、弱者や被害者の気持ちを勝手に代弁する〈マイノリティ憑依〉に陥ってしまったのか”という刺激的な問いかけが書かれてある。 ここから判る…
よく入っている音楽スタジオが八百屋の地下にあるのだが、その上の階がマンションで、最近入居した年配の兄弟が九時半を過ぎると苦情を言ってくるようになった。入居の際に階下がスタジオであることは説明済みなのだがそれでも訴訟をほのめかしたり、すごい…
先日、父親が定年退職したのだが、退職に際してサプライズ的に手紙を読むので書いてくれと父の職場から依頼された。原稿を書くことになって父親のことを考えると驚くほど短い時間しか生活時間を共有していないので、結局よくわからないことはよくわからない…
先日久しぶりに友人から連絡が来て、お互いの近況報告をした。その友人は音楽をやっているわけではないが、わたしの作った音楽を熱心に聴いてくれるし、会話(メールだけども)しているうちにたくさんの気付きがある。 それで話しているうちに、音楽はいずれ建…
ヴィム・ヴェンダース監督「ピナ・バウシュ〜踊り続けるいのち〜」を見てきた。わたしは舞踏について詳しく知らないが、踊ることは楽しいというのは知っている。とはいえ現在日常的に踊りを踊っているわけではもちろん無い。中学生のときに日本の伝統的な、…
先日マイスペースというサイトで人の音源を聴いていた。曲が終わってから自動的に別の曲がかかって、それは当然その人の曲なのだろうと思っていた。実際かかっていたのはJimi Hendrixのvoodoo chileだったのだけれど、曲の途中から始まったのでそのことにし…
「大野一雄 稽古の言葉」(フィルムアート社)という本がある。この本はわたしがまだ函館にいたころ、いろんな人を家に呼んでは話したり、音楽を聴いたりして交流していたときにそのなかの一人が持ってきてくれたものだ。大切にしていた本だったのに貸してくれ…
わたしには友人と呼べる存在が少ない。それは別に嘆くことではなく、大抵の人間がそうだと思っているが、わたしが音楽をやっていて、わたしが作る音楽に関わる人間たちをまるで道具のように扱うという自分の性格にも由来していると思う。道具のように扱う上…
太田睦「ボブ・ディランの転向はなぜ事件だったのか」(論創社)を読み終えた。この本は、たまたま手にとって開いたところが、16世紀の画家で錬金術士Theodore de Bryがエッチングで描いた「天界のモノコード」の絵で、それが最近自分が興味を持っている物理や…
年初なので昨年のことを振り返りたいのだけれど、そんな暇もなく時間は過ぎていってしまい、もはや年初ともいえない。去年もその前の年も、だいたい音楽のことを考えていたけれど、音楽を聴くという行為についてこれほど考えたことはなかったように思います…