生まれつき体験したことを激しく感じ過ぎる。よい体験も、反対に不快な体験も記憶に強く刻みつけすぎてしまうのはどうやら自分の固有の特徴のようだ。それで、自分のなかでは、よい体験というのは、ビデオや写真のように視覚的に蓄積されている。それもかなり処理されている。仕事中に曲が浮かんでこっそりメモを取ったときのような、創造的な至福体験は、なぜかそれをやっている自分の姿が映像として登場する。反対に不快な体験はそのときの精神状態そのものが、そのまま維持される。腹立たしさや絶望感がそのまま映像のない感情として再現されるので、余計に腹を立てたり絶望したりする。あんまりそうならないように常に創造的な至福体験のほうを追い求めていくのだけれど、そういう体験は、瞬間に脳内でドーパミンが分泌されて、あとから記憶として処理されるときにはかなり漂白されてしまう。これはかなり短時間しか持続しないので、常にそれを追い求めるのかなと思った。脳内の現状の処理状況はそれとして、不快感情を同じように漂白する方法はあるまいかとも思
う。創造的な仕事には適しているけれど、日常生活や、例えば音楽をやっていても必ず付いて回る事務作業に支障をきたすからだ。
今年はあまりバランスのよくない一年だったので、来年はもう少し、極端なバランスを正常化させたい。