季節はめぐる

「春は夏に犯されて 夏は秋に殺される 秋は1人でおいぼれて ああ 冬が皆を埋める」−花ざかりの森 野坂昭如

季節はめぐる
波紋の広がりのように

季節は生まれる
そして殺される

人は最後に赤ん坊になる
それはそれは幸福になる

楽しかった過去を思い返し幸福のなかに閉じてゆく

季節のなかで幸福に死ねるのは冬だけだと思う

祖父の葬式については以前書いた。その際にあったことをここにもう一度書くことを試みたい。

それは初夏であった。飛行機で北海道から東京に飛び、どうにか合流して日暮れ頃横浜に着いた。通夜でほとんど初めて会う家族もいた。祖父には四人子供がいた。女二人、男二人である。そのうちの一人が私の母である。その姉弟四人の祖父への印象がことごとく違うのだった。とても頑固で髪を伸ばすことを許されなかったことなど未だに思うところがある、と言っているのが印象的だった。兄二人と私とも印象がまるで違っていた。私は狩人のような人だと思っていた。そして私は冗談を言う面白い人だと感じていたのだけれど、他の人は冗談を聞いたことが無いそうで随分驚かれた。通夜のときは兄に「お前はしゃべり方が偉そうだ」と怒られた。
実家にある祖父の撮った写真を私は良く隠れて見た。自分より年下の母や叔母がいて、青春時代を送っている。自分のことを知らない人たちが自分の知らないところにいて、そして今ここにいるということに不思議な気がしたものだった。葬式のとき、こざっぱりした式をなんとか感動的にしようとする葬儀屋の人たちのナレーションが可笑しかった。
その後火葬場に行った。骨を拾っている間、叔母は号泣していた。母をちらりと見ると少女のように泣いていた。骨壺はとても小さかった。骨が溢れていた。どうやって蓋をするのかと皆思っていたらそのまま上から押しつけられてしまった。ざりざりと音がした。皆自分の骨を砕かれるような気がした。自分の骨を割られる気がした。
骨壺は祖母が抱いて、そのまま祖父の住んでいた団地に帰ってきた。風呂に入るかと言われたがそんな気にはならなかった。それからしばらくは家族で放心していた。私は5年前の夏に家族でここを訪ねた時のことを思い出していた。蒸し暑い部屋の中であまり冷えていないスイカを食べた17歳だった私はその頃、どこにも行けず、行き方もわからず、何も現実的に思えない子供だったのだけれど、ここから帰ってきて荷物をまとめて家を出たのだった。自分の現実がここにあると思ったのだろうか。

しばらくして母と電話で喋った。亡くなる直前の祖父は赤ん坊のようになって、若いころの話をとても楽しそうにしていたそうだ。戦争のときに仲間達と一緒に過ごしたことが最後まで残っていた記憶だったようだ。

祖父が幸福だったかは知らない。しかし祖父は祖父の冬まで生きた。それは良いことだと思う。

今は夏で、私の夏は色々始まる季節のようだ。
私は今、夏の中にいる。



随分長くなってしまったね